▶ 前回の記事「実践事例:スタートアップの成長にデザインはどう寄与できるのか」
私たち人間の知的創造活動によって産み出されたアイデアや創作物などには、財産的な価値を持つものがあり、それらを「知的財産(知財)」と呼びます。そして、その知的財産に対して、一定期間の独占的な利用が与えられる権利のことを「知的財産権」といいます。知的財産権は、著作権法や不正競争防止法などさまざまな法律で規定されています。
次に、知的財産権のうち、特許権、実用新案権、意匠権、商標権の4つの権利をまとめて「産業財産権」と呼びます。産業財産権の例としては、ネーミング、ロゴマーク、アイコン、製品外観、サウンドロゴなどさまざまなデザインの成果物、新しい技術、そしてそれら技術によって実現したビジネスモデルなどが挙げられます。産業財産権を活用することで、先に挙げたような成果物を競合による模倣から保護したり、その財産から新たなビジネスを生み出したりと、事業の成長を図ることができます。
このように、知的財産権はスタートアップに限らず、すべての企業において経営戦略やデザイン活用を進めるにあたっても、極めて重要なテーマなのです。
知的財産権の重要性を表すより具体的な例として、新サービスをローンチするとしましょう。そのサービスのネーミングについて商標調査や登録をせず、既に同じネーミングで商標登録されている先行サービスの存在にも気づかず、サービスや製品を販売したとします。この場合、ある日突然、先行サービスから提訴され、販売停止やリコール(生産者が無料で製品を回収し修理や交換などを行うこと)などの事態に陥るリスクが発生します。さらには、その先行サービス事業者から損害賠償を請求されるかもしれません。これによって突然、事業ができなくなり廃業に至るという最悪のケースも起こり得るのです。
この場合の商標は「ネーミング」ですので目に入りやすく気づきやすい具体例ですが、特許、意匠などでも同じことがいえます。特に新規性や成長スピードが求められるスタートアップにおいては「競争優位性」や「差異化」が重要な戦略となる以上、それらを実際に事業として展開するためにも知的財産権の観点は必須といえるでしょう。
ここまで、ごく当たり前の話をしているように感じられたかもしれせん。しかし、我々のこれまでの経験をふまえると、日本のスタートアップや中小企業などは知的財産権や産業財産権に対する意識がかなり低いと認識せざるを得ません。また、デザイナー自身が産業財産権について継続的に学んだり、理解しているケースも極めて低いといえます。経営者が知財に着意が低く、また、その事業に関与するデザイナーが知財を理解していない場合、その事業は一見してユニークなようであっても、実は「法的に守られた独自性」のない違法なビジネスをしているだけ、ということになりかねません。
これらの財産権に関しては、「権利」という言葉の印象から、自己の権利を主張するものというイメージを持つ方が多いと思います。しかし知的財産権や産業財産権は、攻守の順序でいえば「守り」が先であり、可能な限りリスクを低減してから「攻め」を強化するのが基本だと考えるのが妥当です。
他者の権利との抵触回避、第三者による模倣の防止、競合他社による事業活動の参入防止や牽制、サービスや製品価値の維持が、守りを主眼とした場合のメリットです。
自社のデザイン力や技術力の告示、社会的な信用やイメージの向上、投資家や銀行などからの資金調達、補助金の獲得、権利を活用した新たなライセンス収入といったメリットが、攻めの観点から挙げられます。
専門知財チームや知財への意識が高いデザイナーが在籍しているような大手企業の場合、たとえ守りのみの観点であっても、ごく自然に産業財産権について調査や出願、登録を進め、権利形成を前提にしたデザインを実現し、プロジェクトを展開しています。ただ、スケールの大中小を問わずあらゆる企業やサービスは、攻めと守りの両側面から産業財産権を大前提として、その権利形成に取り組むべきです。
一般的に、あらゆるビジネスは何らかのデザインを施された上で世の中に出ると考えられます。その意味でも、デザインと知財の関係は大きいものであるといえるでしょう。
デザインという行為において、知的財産への留意は避けて通れないものです。事実、デザイナーに限らずすべての人が創出した成果は著作物であり、著作権法で保護されています。つまり、デザイナーが作るものだけでなく、写真、イラスト、テキスト、映像など、あらゆる創作物は著作権(著作権、著作者人格権)を有するものとされ、何ら措置を講じなくても自動的に保護されます。
殊にデザイナーは創作を仕事としている以上、創作の過程において他者が保有する著作権などへの留意なしに、デザインを行うことはできないともいえます。
当然のことながら、プロダクトの形状や企業やサービスのロゴにも権利はあります。大別すると、形状であれば「意匠権」、ロゴであれば「商標権」、アイコンなどは「意匠権」と「商標権」の双方が絡む場合があり、音や色彩のコンビネーションであれば「商標権」が関係することもあります。これに加えて「著作権」さらに「特許」が重なるケースもあります。
このような話を聞くと、「権利でがんじがらめになって、何もできない」というように、クリエイティブと相反する印象を覚えるかもしれません。しかし、チェスのルールを知らない人がチェスで勝利できないのと同様に、知的財産を理解しておかないと法律違反で提訴されたり、そもそも新しい知的財産を生み出すことすらできないはずです。つまり、知的財産に対して高い着意を持つことで、予め危険を回避し、新たな権利を獲得することができるようになり得るのです。
少し難しい権利の例になりますが、競技場で行われたサッカーの試合の写真に関する例を挙げてみましょう。
あるスタジアムで2つのチームがサッカーの試合をしている写真があるとします。一見しただけで、どこの競技場かわかるような写真です。
まず、最も引きの構図による会場全体の風景写真については、建築物の所有者に使用の許諾を取る必要があるかもしれません。少し近づいて、双方の選手がバランス良く入り混じった写真になると、双方のチームが所属するサッカー協会などの団体へ確認が必要になり得ます。さらに一方のチームの選手だけにフォーカスするとそのクラブへの許諾が必要となり、選手にフォーカスすると選手自身に許諾を得る必要が出てきます。そもそも、この写真を撮影したカメラマンにも著作権が発生します。
このように、たった1枚の写真でも使用の許諾を求めたり、使われ方によっては使用の対価を求めることのできる権利が存在しています。ストックフォトなどのサービスではこれらの権利をクリアにした状態で提供されている写真もあるため、デザイナーや事業者自身の注意が及んでいないこともありますが、本来は留意しておくべきことだといえます。
こうした観点から考えると、事業者には前提として知的財産への高い意識が求められ、さらにその知見への留意が高いデザイナーを有効に活用することで、新しい知的財産の創出が可能となります。
知的財産とは「財産」であり、その権利を有していることで独自性を高め、他社が法的に真似できないものを作ることによって、ビジネス上のリスクを回避できます。また、他社が利用したいと申し出ればライセンスすることでマネタイズも可能です。逆にいえば、何もしないでいると競合企業に好き放題真似されても文句を言えず、独自性の主張さえもできなくなるリスクがあるともいえます。
小さな窪みや出っ張りなどの形状、シンプルな構成や構図など、ほんの些細なアイデアでも権利形成できることは多々あります。反対に、知財の重要性を知らないと権利取得しないまま製品化し、気づかないうちに他者に「財産になり得たもの」を無償提供してしまうことになるのです。
国ごとに比較すると、ヨーロッパや中国などの知的財産への意識の高さは、世界知的所有権機関(WIPO)による統計データから見ても明らかです。
では、日本の場合はどうでしょうか。例えばどの企業/ブランド/サービスでも必ずといっていいほど出願対象として発生する商標権に目を向けると、2021年の出願件数ランキングで日本は世界第9位になっています。
そして、年ごとの経過で見ると、他国との差がより顕著となります。下の前年対比の統計データでは日本がダントツのマイナスを記録しています。その次の図で示された全年数での増減グラフにおいても、中国やアメリカなどの経済大国に加えて、韓国、インド、ブラジルなども中長期で着実に増加していることが見て取れます。
それでは、意匠権においてはどうでしょうか。「モノづくり大国・日本」を象徴する自動車や家電のように、意匠権が対象とする工業製品やブランド品が日本からたくさん生み出されていますが、残念ながら意匠権の統計データではその逆の結果になっています。例えば、2021年の登録件数ランキングで日本は世界第8位です。
そして、下の図で示された年ごとの登録件数の推移についても、日本の低迷と他国の増加が顕著に表れています。アメリカや中国に次いで第3位に位置づけられる日本の経済規模に鑑みると、この差は大変残念だと感じざるを得ないものです。アメリカやヨーロッパでも、景気の波に関係なく中長期で堅調な伸びを見せていることと比べるならば、そもそもの知財に対する着意、意識、教育など、根本的なところに課題があるのではないかと思ってしまいます。
上述した国ごとの大きなトレンドや統計の差に関して、スタートアップ業界でも同じ現象が起きていると感じています。例えば、日本とアメリカ(特にシリコンバレー発)のスタートアップを何社かピックアップし、私たち独自の取り組みとして知的財産の調査を実施しました。
すると、アメリカのスタートアップでは意匠権や商標権の登録件数を会社の成長に合わせて急速に増やし、数百件単位でグローバルに出願と登録を行っている実態がわかりました。また、知財への取り組みを資金調達やM&A、IPOといった企業ステージと連動させており、意匠権でいえば全体意匠にとどまらず部分意匠や関連意匠といった多層的な登録を実施するなど、億単位の予算も投下しながら緻密で戦略的な知財活動が行われている様子を読み取ることできました。メガベンチャーといわれる日本のトップスタートアップであっても、よくて数十件しか商標や意匠を登録しない実情と比べると、圧倒的な意識の差が存在しています。
前半でも触れたように「デザイナーは創作を業(なりわい)」としており、創作の過程において他者が保有する権利を回避しつつ、アイデアで新しい知的財産を生み出すための大きなチャンスを持つ存在だといえます。そして、知財は法で自社を強化し、他者を排除する強い力を持っています。
スタートアップがデザイナーを最大限活用するためには、これらの知的財産に着意を持ち、その効果をビジネスの最前線で活用することが有益であり必要だといえるでしょう。
2023年7月11日 Sony Design Consulting 福原寛重/Final Aim 横井康秀