「デザイン」という言葉は、日本ではまだ正しく理解されていないと思います。我々はデザインはすべての人にとって有益な概念であり、すべての人が獲得するべき能力であると考えています。
日本においては子どもが成長する過程で、あえて意識的にアプローチしない限りデザインという言葉に触れる機会がほとんどありません。これは今日の小学校の教科書に「デザイン」という言葉が使われていないことも原因の一つだといえます。日本全国どの地域でも公平に、一定の水準の教育を受けられる体制を整えるため、文部科学省が学習指導要領を発行し、学校や教員に教育の方針を示していますが、今日の学習指導要領には「デザイン」という言葉は含まれていません。
1950年代後半においては高度経済成長の重要な要素として、“デザイン振興”の観点から「デザイン」という言葉が教科書に掲載されていました。高度経済成長期には、企業のグローバル化やアイデンティティ構築などが成長のための機運になっていたこともあって、デザインは重要な要素であり、国策上重要だと評価されていたのだろうと推察します。しかし、理由は定かではありませんが、2008年を最後に「デザイン」という単語は学習指導要領からは消えてしまいました。教育指導上、出てこない言葉や概念を理解することは難しく、結果的にデザインに触れること、学ぶこと自体さえも難しい状況にあるといえると思います。
加えて、「デザイン(design)」とはそもそも英語です。単語のもつ意味の全体像は母国語でないと理解しにくいものです。デザインという単語には英語では多様な意味があり、幅広く活用可能な、もっと日常的な言葉です。日本語におけるいわゆる“デザイン”や図案という意味のみならず、設計、計画、立案、企て、予定、さらに目的や意図といったニュアンスも含まれます。多くの日本人にとってデザインという言葉は特別な意味を感じさせるものですが、英語圏の人にはさまざまな用途に使える“普通の単語”だともいえます。英語が母国語の人にとってデザインはあくまで日常的な単語であり、計画すること自体をデザインだと捉えることも難しくはないでしょう。
一方で、日本人にとってデザインは“クラフト、ビジュアル、形や色”などと限定されている傾向があり、また“専門家が行うこと”であるといった、強固なバイアスが根強く残っていると常に感じます。有益な概念である「デザイン」という言葉に対して、この狭い視点は多くの機会損失をもたらしていると思います。
例えば、多くの日本人は“計画”はしても、“デザイン”はしていないともいえるからです。このようにデザインを特別視してしまうと、個人が“他人の仕事”を評価する基準として「デザインが好きかどうか」という議論になってしまいますし、その上で「興味がない」「好きではない」と感じてしまえば、学ぶ姿勢も閉じてしまいかねません。
料理をする、旅を計画する、部屋の模様替えをする。こうした日常的な事柄も、実際は「デザイン」といえるものです。これらの日常的な行為をデザインであると捉え、生活や人生に必要不可欠な概念の一つであると認識し直すことで、デザインを学び、自分のものにしていくことが可能です。デザインを自分のものとし、空気のようなものだと再認識すれば、この世の中にはデザインされていないものなどないことに気が付くと思います。このようにして、デザインに対するセンシティビティを高めることがデザインを理解し、有益に活用するために必要な、“はじめの一歩”だといえます。
そして最終的に「何かの工程を考える行為はすべてデザインである」ということを、多くの方に理解していただきたいと思っています。
<補足>
諸説あるものの、「デザイン(design)」よりも古い単語として「デジグネイト(designate)」がある。デジグネイトの日本語の意味は「明確に示す、指示する、名付ける」などであり、デザインと同じくラテン語の「designare(示す)」が語源であるとされている。また、「designare」は接頭語「de-(強調)」+「signare(署名する、印をつける)」であり、“示す”ことが強調された単語。つまり「明確に示す」ことになる。(※1)
また、「design」というワードは、「de」と「sign」に分けて見ることができる。「sign」は、いわゆる「記号」を意味しており、ラテン語でデザインを意味する名詞「designum(ディジグナム)」と動詞「designare(ディジグナーレ)」の中にある「signum(ジグナム)」と「signare(ジグナーレ)」も、それぞれ「sign(記号)」の語源となる。一方で、「design」の「de」の部分は「表出」を意味しているが、「design」と「plannig」の違いに、この「de(表出)」が関係していると考られる。
つまりデザインという行為には、「記号」の表出行為、「計画を記号に表す」行為、 見えない「こと」を見える「もの」にしたり、 触れない「こと」を触れる「もの」にする行為が、よりよい計画や新しい記号を生み出す力となるニュアンスとして内包されている(少し意訳も含まれるが、「de-」は「完全なる方向を目指す」といった意味合いも含んでいるといわれる)。
(※1)「de-」には「脱、否定」などの意味と「言葉の強調」としての用途がある。
イギリスのグラスゴー大学が公開している「The Historical Thesaurus of English(英語歴史シソーラス)」では、英語の単語を意味と時代ごとに分類した65万項目におよぶデータベースがあり、歴史上の意味の変遷などが確認できる。1400〜1600年頃に起こった大母音推移(the Great Vowel Shift)を経て現在の英語が確立された歴史を考えると、「design」の歴史上最初期の意味合いの多くは「Plan / Plot / Intention / Purpose」であったといえ、現在もその意味合いは残っている。
デザインの話を真面目にするからには、ある程度はデザインの歴史にも触れるべきかと思いますが、あまり遡って細かく記述しても脱線しかねないので、ここでは抜粋しながら端的に記述したいと思います。
19世紀後半の産業革命と連動して、ウィリアム・モリスなどに代表される「アーツアンドクラフツ運動」がデザインの起点として説明されることがありますが、どちらかといえば懐古的な視点も含めて“良質なものを作る”というニュアンスが強いため、この時点ではまだ「クラフト(手工芸)」であったと思います。
近代デザインの始まりは、やはり1919年にドイツで設立された美術学校「バウハウス」だと考えるのが妥当だと考えます。建築家ヴァルター・グロピウスが初代学長を務めたこともあり、有名な ”Das ultimative Ziel aller künstlerischen Aktivitäten ist das Bauen!”(すべての造形芸術が最終的に目指すところは完成した建築にある)という言葉で表されるように、プロダクト、グラフィック、工芸などが建築という大きな概念のもとに総合芸術としてまとめ上げられたといえるでしょう。
その後、ヨーロッパのみならずアメリカでも、工業デザインやグラフィックデザインは発展していきました。その上でキーポイントだと思うのは、以下の言葉です。56年にIBMの2代目社長に就任したトーマス・ワトソン・ジュニアの有名なフレーズに、“Design must reflect the practical and aesthetic in business but above all... good design must primarily serve people.” があります。彼はまた、60年頃には“Good design is Good Business.”と言っていますが、ここで語られるデザインとはより広義なものであり、表現に限定した狭い対象ではありません。そして、この言葉は表立って社外には出てきていないものの、今でもIBM社内では深く理解されているそうです。
その上で、デザインの歴史において特に注目するべきだと思う出来事は、彼が56年にデザインコンサルタントとして、数多くのCI(コーポレート・アイデンティティ)を手がけたことで知られるポール・ランドを招聘したことだと思います。つまりこの当時に、デザイナーの役割や機能や効能をビジネスドメインで活用することが、ビジネスにおいて有益であると判断していたということです。これは歴史的に見ても、かなり早い時期にデザイナーの職能を広義の視点から捉え、ビジネスに活用した好例だと思います。
80年代に入ると、電気通信分野の発展と産業の情報化に伴い、“無形のデザイン”への関心が高まります。その後、パーソナルコンピュータやインターネットの普及によって、マンマシンインターフェースやユーザーインタフェース(UI)、色や形のないインタラクションそのものもデザインの対象領域として認識されるようになり、2000年頃には「エクスペリエンスデザイン」というコンセプトの導入から、無形のデザイン領域の確立が一気に加速していきます。
並行して、UIのデザインを発展させる形で、「UX(ユーザーエクスペリエンス)デザイン」や、ユーザーとのインタラクションをより統合的にビジネスパッケージとして扱う「サービスデザイン」の概念が確立されていきます。その動きと歩調を合わせるように、これまでデザイナーと呼ばれていなかった人たちを巻き込みながら“共創”することで、確度の高いゴールに早くたどり着くための手法として「デザイン思考」という概念が導入され、多くの新規事業創出において活用されてきました。
こうした経緯をふまえながら、ここではスタートアップのデザイン活用において重要だと考えられる、3つのデザインの取り組みを紹介したいと思います。
「Design thinking」という言葉は、86年に建築家のピーター・G・ロウによって提示されました。もともとは、建築家やデザイナーの発想の部分ーースケッチと試行錯誤を繰り返し、最適解に近づいていく創発的な過程にあたる、“ブラックボックスの中身”を解き明かそうという試みでした。
日本においては09年に発刊された、デザインコンサルティングファームIDEO代表のティム・ブラウンによる著書『デザイン思考が世界を変える イノベーションを導く新しい考え方(原題:Change By Design: How Design Thinking Transforms Organizations and Inspires Innovation)』がきっかけで、いわゆる職業デザイナーではない人たちへデザインの概念を導入するきっかけとして一般的になりました。
この「デザイン思考」は、顧客視点をベースにあらゆる専門性を活かし、精度の高い答えを導き出す共創を目的に掲げながら、プロジェクトに多くの人を巻き込み、課題発見と課題解決を導き出す改善の手法として、多くの新規事業創出や改善提案のプロセスに用いられました。この点については、デザイナーの思考プロセスを手続きとして体系化したことに、極めて重要な意味があると思います。ただし、体系化されたプロセスを学んだからといって“デザイナー”ではない以上、導き出された知見を必ずしも最適に実践できるかどうかは別の問題でもあります。
また、ここで提示された内容の少なくとも半分程度は、デザイナーにとってはごく当然のプロセスでもあることから、デザイナーにしてみれば価値が見えにくい部分もあります。一方で、デザインにおける言語化しにくいプロセスを可視化したことで、より幅広く活用できるポテンシャルを生み出したことは重要だと考えます。
2000年代のデザインの一つの潮流に、「スペキュラティブデザイン」という考え方があります。当時、ロンドンのRCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)のデザインインタラクション学部の学部長を務めていたアンソニー・ダンとフィオナ・レイビーが提唱した考え方で、デザインを未来の可視化の手段、つまり「こうなっているかもしれない」未来の思索の手段として捉え、その可視化された成果物としてのデザインをもって、その未来が受け入れられるものなのか、そうでないのかを社会に問いかけ、倫理観やあるべき姿を模索する活動です。
その活動の中心人物でもあったデザイナーのジェームス・オーガー氏と、意見交換をさせていただいた時のことです。スペキュラティブデザインの対象とする未来が、せいぜい10年後程度の遠くない未来であること、技術的な進歩の予測が前提になっていること、その現実的解決策としての組み合わせを提示するという3点の理由から、この活動がSF小説でもなく、占いやアートでもない、紛れもないデザインの活動であるとの説明を受けました。
もともとRCAのデザインインタラクション学部の前身となった組織は、マンマシンインタフェースのインタラクションデザインの専門課程。その点で、スペキュラティブデザインのベースにはインタラクションデザインのベースがあり、対象をマンーマシン(人間ー機械)からインダストリーやソサエティに開かれた概念へ昇華させることで、未来の在りたい姿をデザインで可視化して社会に問うという、ソサエティにおけるビジョニング手法の模索に近しい活動であると見て取ることができます。
一方で、スタートアップは社会に向けた強い存在意義の上に初めて事業活動として成り立つと考えると、スペキュラティブな思索を社会に問うと同時にそれを社会実装していくことで、その存在意義を果たすことが求められているともいえます。そのため、極めて難易度が高いですがこのスペキュラティブデザインという考え方にも、スタートアップにとって多くのヒントがあるのではないかと考えます。
このVUCAの時代において、デザイナーのみならず、すべての人が身に付けるべきリベラルアーツとして、ビジョンやありたい姿を描くチカラ、イメージするチカラは、ますます重要になってくるのではないかと考えます。
散見される問題と、自身が解決すべき課題を取り違えることがよく見受けられますが、ビジョンと現状のギャップを課題とするならば、どんなカタチであれ"ありたい姿"が描けないと、確度の高い課題は見えてこないはずです。
デザインという手法は感性に訴えかける可視化が得意であり、多くの可能性を持っています。まずは、多様なステークホルダーが「いいね」と共感するものをカタチにしてみること。または、カタチにする過程でより深い考察を行うことで、新たな課題を見つけること。あるいは、専門性の異なるメンバーが自律的に課題を発見し、その課題を解いていくこともできるようになるでしょう。
これはデザイン思考の考え方にも通じるものですが、起点は手法ではなく、ビジョンを思い描く発想のところにこそあると考えています。
大切なのは、マインドを持った一人ひとりが発想するチカラを最大限に発揮して未来をつくっていくことであり、その点で、スタートアップのマインドとの親和性も高いと考えられます。
ことの初めには、まず"ありたい姿 = ビジョン"を描く。それを旗印に、さまざまな専門性を結集して、そのビジョンを実現していくという流れが有益だといえるでしょう。
最後に、デザインはこの100年ほどの間にさまざまな視点で語られるとともに、あらゆる試みが行われてきました。特に黎明期におけるデザインの定義は、その後にあらゆるデザイン領域で行われた挑戦の根底を成しています。最も重要な点は、時代を超えて輝くその視座の高さであり、今日の価値観とも見事に合致していると思います。
我々自身が過去に戻る必要はありませんが、過去のデザインの歩みを顧みることで、忘れかけていたものを再発見できる可能性は多いにあると思います。
今日的な視点に戻れば、デザインをあえて特別なものと捉えるのではなく、日常的に自然と社会のすべてに備わったものだと考えるべきでしょう。そのため、我々は「工程を考える行為はすべてデザインである」と考え、「デザイン」という行為そのものを、すべての人がより幅広く捉え直すべきだと考えています。
2022年5月16日 Sony Design Consulting 福原寛重/江下就介